テストステロンと心血管イベント
「テストステロンは心臓に悪い?」と心配されている方へ
NO(一酸化窒素)とテストステロンの最新研究から考えるTRTの心血管リスク
最近、テストステロン補充療法(TRT)を受けている患者さんから、
「テストステロンは、NO(一酸化窒素)が少ない人では心臓に悪くなるという研究を見ました。TRTを続けても大丈夫でしょうか?」
というご質問をいただくことがあります。
きっかけになっているのは、2026年に琉球大学の研究グループから発表された研究です。
この研究は非常に興味深く、今後の研究につながる重要な報告だと考えられます。一方で、この研究をそのまま「高齢者のTRTは危険」という意味に受け取るのは適切ではありません。
今回は、この研究が実際に何を明らかにしたのか、これまでのTRTと心血管疾患に関する研究ではどのような結果が出ているのかを整理します。
まず結論から
現在までの研究を総合すると、
「テストステロン補充療法は、高齢者の心筋梗塞や脳卒中を必ず増やす」ことは証明されていません。
むしろ、適切な対象者に対して生理的な範囲を目標にTRTを行った大規模臨床試験では、主要な心血管イベントが増加しないことが確認されています。
一方で、
- 高齢
- 動脈硬化
- 高血圧
- 糖尿病
- 肥満
- 腎機能低下
- 喫煙
- 心血管疾患の既往
などを持つ方では、もともとの心血管リスクが高くなっています。
そして今回の研究は、こうした背景の一つとして、
「血管のNO産生が著しく低下している状態では、テストステロンの心血管作用が変化する可能性がある」
という新しい仮説を提示したものです。
したがって、今回の研究は「TRTをやめる理由」というより、
「TRTを行う際には、テストステロンの血中濃度だけではなく、血管・代謝を含めた全身状態をきちんと評価することが重要である」
ということを考えるきっかけになる研究だと考えられます。
そもそもNO(一酸化窒素)とは?
NOは、一酸化窒素(nitric oxide)のことです。
血管の内側を覆っている血管内皮細胞では、eNOS(内皮型一酸化窒素合成酵素)という酵素によってNOが作られています。
NOには、
- 血管を拡張する
- 血流を維持する
- 血小板の過剰な凝集を抑える
- 血管壁の炎症を抑える
など、血管を健康に保つための重要な働きがあります。
加齢や高血圧、糖尿病、肥満、喫煙、動脈硬化などでは、血管内皮機能が低下し、NOの生体利用能(bioavailability)が低下することが知られています。
つまり、
加齢 → 血管内皮機能低下 → NOが働きにくくなる
という変化が起こります。
テストステロンと血管機能については以前から研究が行われており、テストステロンがNO/cGMP経路などを介して血管機能に影響する可能性も報告されています。
2019年に発表されたレビューでも、テストステロン欠乏と血管内皮機能障害、NOとの関係について多くの研究がまとめられています。
2026年、琉球大学から非常に興味深い研究が発表されました
2026年4月、琉球大学などの研究グループが、Circulation Journal に、
“Two Faces of Cardiovascular Actions of Testosterone Dependent on the Presence or Absence of Nitric Oxide Synthases in Mice”
という研究を発表しました。
高齢男性の更年期障害におけるテストステロン補充療法に警鐘 心血管イベントを増加させる可能性 世界初 一酸化窒素産生障害の関与を解明
直訳すると、
「一酸化窒素合成酵素の有無によって変化する、テストステロンの心血管作用の二面性」
という意味です。
非常に興味深いタイトルです。
研究者たちが注目したのは、
「テストステロンは、NOが正常に存在する状態と、NOが極端に不足している状態では、心血管系に違う作用をするのではないか?」
という問題です。
研究ではどのような実験をしたのでしょうか?
ここが非常に重要です。
この研究は、人間を対象にしたTRTの臨床試験ではありません。
マウスを使った基礎研究です。
しかも普通のマウスではありません。
研究者たちは、
- 神経型NOS(nNOS)
- 誘導型NOS(iNOS)
- 内皮型NOS(eNOS)
という3種類のNO合成酵素をすべて欠損させたマウスを使用しました。
さらに2/3腎摘を組み合わせた、非常に重い心血管病態を持つ特殊なモデルです。
このマウスでは心筋梗塞によって死亡するような病態が作られています。
つまり、
「少しNOが少ない高齢男性」
をそのまま再現した動物ではありません。
ここは臨床上の判断をするときに、最も重要なポイントの一つです。
それでも非常に興味深い結果が得られました
この特殊なNO欠損マウスでは、テストステロン投与によって、
- 生存率の低下
- 心筋梗塞の増加
- 心血管リスク因子の悪化
- 大動脈の血管弛緩反応の低下
などが認められました。
さらに心臓のRNA解析から、免疫・炎症関連のメカニズムが関与している可能性も示されました。
研究者たちは、
NOが十分に存在する状態ではテストステロンが持つ血管拡張などの作用が発揮される一方、NOが著しく欠乏した状態では、テストステロンの作用が逆方向に変化する可能性がある
と考えています。
これが今回話題になった「テストステロンの二面性」です。
では「高齢者はNOが少ないからTRTは危険」なのでしょうか?
ここは慎重に考える必要があります。
現時点では、そのようには言えません。
理由は簡単で、
今回の研究で使用されたマウスは、
「NOが少ない高齢者」ではなく、「3種類のNOSをすべて欠損させた特殊な病態モデル」
だからです。
研究者自身も、この研究を「人間のTRT患者で同じ現象が起こることを証明した研究」として発表しているわけではありません。
今回の研究の結論は、
「NOSが存在しないマウスでは、テストステロンが有害な心血管作用を示した」
というものです。
ここから、
「高齢者はNOが低下している」
↓
「高齢者にTRTをすると心筋梗塞が増える」
と直接結論することはできません。
これは基礎研究から臨床医学へ結果を外挿するときに注意しなければならない点です。
では、なぜこの研究が発表されたのでしょうか?
実は、TRTと心血管リスクについては以前から研究結果が一致していませんでした。
「テストステロンは心血管系に良い」という研究がある一方、
「テストステロン投与によって心血管イベントが増える可能性がある」
という研究も存在していました。
そのため、
「なぜ研究によって結果が違うのか?」
という疑問が生じていました。
今回の研究は、その違いを説明する一つの仮説として、
NOの状態によってテストステロンの作用が変わるのではないか
と提案したものです。
以前から「TRTで心血管イベントが増えるのでは?」という報告はありました
代表的なものが、2010年にNew England Journal of Medicineに掲載された研究です。
この研究では、65歳以上で身体機能が低下し、低テストステロン血症を有する男性を対象に、テストステロンゲルとプラセボを比較しました。
試験中、テストステロン群で心血管関連の有害事象が多く発生したため、試験は早期に中止されています。
この研究は、TRTの心血管安全性をめぐる議論に大きな影響を与えました。
そして、
「高齢で身体機能が低下した男性にテストステロンを投与すると、心血管リスクが高くなるのではないか?」
という懸念につながりました。
今回の琉球大学の研究も、このような過去の臨床研究を背景として行われています。
さらに「冠動脈プラークが増えた」という研究もあります
2017年には、JAMA に非常に興味深い研究が掲載されました。
65歳以上で低テストステロン血症と症状を持つ男性170人を対象に、テストステロンゲルとプラセボを1年間比較しています。
その結果、
テストステロン群では、冠動脈の非石灰化プラークの体積がプラセボ群より有意に増加しました。
一方で、この試験では心筋梗塞などの主要な心血管イベントそのものが増えたわけではありませんでした。
つまり、
「動脈硬化の画像上の変化」
と
「実際に心筋梗塞や脳卒中を起こすこと」
は同じではありません。
この研究結果も重要な注意材料ではありますが、
「TRTをすると心筋梗塞になる」
という意味ではありません。
ところが、もっと大きな研究では違う結果が出ました
ここで非常に重要なのが、
TRAVERSE試験
です。
2023年にNew England Journal of Medicineに発表されたTRAVERSE試験は、TRTの心血管安全性を調べるために行われた、非常に大規模なランダム化比較試験です。
対象となったのは、
45~80歳の男性5,246人
です。
しかも、
- テストステロン値が300 ng/dL未満
- 性腺機能低下症の症状がある
- 既存の心血管疾患がある、または心血管リスクが高い
という、まさに「心血管リスクが心配される男性」を対象としています。
テストステロン群では、血中テストステロンをおおむね350~750 ng/dLの範囲に維持するように治療されました。
そして、
心血管死・非致死性心筋梗塞・非致死性脳卒中
を合わせた主要評価項目について、
テストステロン群はプラセボ群に対して心血管イベントのリスクが高くない
という結果になりました。
これはTRTの心血管安全性を考えるうえで非常に重要な研究です。
ただし、TRAVERSE試験も「テストステロンは完全に安全」という意味ではありません
TRAVERSE試験では、主要な心血管イベントは増加しませんでしたが、
心房細動、非致死性不整脈、肺塞栓などについてはテストステロン群で多くみられた
という点には注意が必要です。
したがって、
「TRTは心臓に何の影響もない」
ということでもありません。
TRTは医療行為ですから、適応を判断し、適切な用量で使用し、血液検査などを行いながら経過を観察することが重要です。
さらに複数の研究をまとめても、単純な「TRT=心血管リスク上昇」にはなりません
2024年に発表されたメタ解析では、30件のランダム化比較試験、合計11,502人を解析しています。
その結果、
- 心血管イベント
- 脳卒中
- 心筋梗塞
- 全死亡
- 心血管死亡
のいずれについても、TRT群とプラセボ群で統計的に有意な差は認められませんでした。
2017年のメタ解析でも、ランダム化比較試験においてテストステロン投与による心筋梗塞、脳卒中、死亡の有意な増加は確認されませんでした。ただし、当時は研究期間が短く、エビデンスの質にも限界があるとされています。
つまり、現在までの研究をまとめると、
「TRTによって心血管イベントが必ず増える」
という結論にはなっていません。
むしろ「どの患者に、どのように使うか」が重要です
ここで非常に大切なのが、
「テストステロンが心臓に良いか悪いか」
という二択で考えないことです。
テストステロンは身体のさまざまな組織に作用するホルモンです。
血管、心筋、脂質代謝、糖代謝、筋肉、赤血球、脂肪組織など、複数の経路を介して全身に影響します。
したがって、
「テストステロンそのものが善」
あるいは
「テストステロンそのものが悪」
と単純化することはできません。
重要なのは、
テストステロンが不足している人に、生理的な範囲まで補充すること
と、
正常範囲を大きく超える量のアンドロゲンを投与すること
を区別することです。
この2つは医学的に同じものではありません。
特に「生理的補充」と「高用量アンドロゲン」は分けて考える必要があります
今回の研究を見て不安になった方の中には、
「テストステロンを体外から入れること自体が危険なのでは?」
と感じる方もいるかもしれません。
しかし、研究で使用されるテストステロンの量や血中濃度は非常に重要です。
例えば、2013年に報告された研究では、健康な男性にテストステロンエナント酸500 mgを単回投与するという、かなり強い条件で血管内皮とNOを調べています。
この研究では、テストステロン投与後にNO産生やeNOS発現が低下する結果が示されました。
しかし、これは生理的なTRTをそのまま再現した研究ではありません。
高用量のテストステロンやアナボリックステロイドを使用することと、医学的な適応に基づいて不足しているテストステロンを補充するTRTは区別して考える必要があります。
これはボディビルダーの高容量AASと、男性更年期障害の方のテストステロン補充が全く異なることと同じ構造です。
では、高齢者のTRTでは何を確認すればよいのでしょうか?
今回の研究を踏まえると、むしろ重要なのは、
「NOを測定しなければTRTができない」
ということではありません。
NOそのものを日常診療で簡単に測定してTRTの可否を判断する、という段階にはまだありません。
それよりも、
① 血圧
高血圧は血管内皮機能を悪化させる代表的な因子です。
家庭血圧も含めて適切に管理することが重要です。
② 糖尿病・血糖
高血糖は酸化ストレスや血管内皮障害につながります。
HbA1cなどを確認します。
③ 脂質
LDLコレステロールなどの管理は、TRTを行うかどうかにかかわらず心血管疾患予防の基本です。
④ 肥満・内臓脂肪
肥満、とくに内臓脂肪の蓄積は、インスリン抵抗性や慢性炎症、血管内皮機能障害と関連します。
実際、Testosterone Trialsの冠動脈プラーク研究では、ウエスト・ヒップ比が大きい男性ほど、テストステロン投与による非石灰化冠動脈プラーク増加が大きいという結果も報告されています。
⑤ 喫煙
喫煙は血管内皮機能を低下させる代表的な因子です。
TRTの心血管リスクを考えるときも、喫煙習慣の管理は非常に重要です。
⑥ ヘマトクリット
TRTでは赤血球が増加することがあります。
そのため、定期的な血液検査によってヘマトクリットを確認することが重要です。
⑦ 心血管症状
胸痛、息切れ、動悸、失神などがあれば、TRTを続けるかどうかとは別に、心血管疾患そのものについて評価する必要があります。
「NOを増やすためにサプリメントを飲めばいい?」という話ではありません
今回の研究を見て、
「NOが少ないなら、NOを増やすサプリメントを飲めばTRTのリスクを防げるのでは?」
と考える方もいるかもしれません。
しかし、今回の研究からそこまでの結論を出すことはできません。
今回のマウスではNOSそのものを欠損させています。
これは、
「食事や運動によって血管内皮機能を改善する」
という話とは全く違います。
現時点では、今回の研究を根拠に特定のサプリメントを使用することを推奨する医学的根拠はありません。
むしろ血管を健康に保つ基本的な生活習慣が重要です
NOの生体利用能や血管内皮機能を考えるうえでも、
- 運動
- 体重管理
- 血圧管理
- 血糖管理
- LDLコレステロール管理
- 禁煙
- 十分な睡眠
などは重要です。
特に運動は、血流による血管壁への刺激を通じて血管内皮機能に良い影響を与えます。
TRTを受けているからこそ、
「テストステロンだけを管理する」のではなく、「心血管リスクそのものを管理する」
という考え方が重要になります。
今回の研究から、私たちは何を学ぶべきでしょうか?
今回の研究は、
「テストステロンは心血管系に良い」
とも、
「テストステロンは心血管系に悪い」
とも単純には言っていません。
むしろ、
「テストステロンの心血管作用は、その人の血管・NO環境によって変化する可能性がある」
という新しい考え方を提示しています。
これは非常に興味深い仮説です。
しかし、現時点ではマウスで確認された現象です。
人間のTRT患者について、
「NOが低い人ほどTRTで心筋梗塞が増える」
ことが証明されたわけではありません。
「高齢だからTRTをやめた方がいい」という結論にはなりません
今回の研究を読んで、
「自分は高齢だから、NOも減っているはず。TRTをやめた方がいいのでは?」
と心配される必要はありません。
現在までの臨床研究を見ると、TRTの心血管安全性については長年議論が続いていますが、2023年に発表された大規模なTRAVERSE試験では、心血管疾患の既往または高い心血管リスクを持つ45~80歳の男性5,246人において、テストステロン補充療法による主要心血管イベントの増加は認められませんでした。
もちろん、TRTには心血管系以外にも注意すべき点があります。
しかし、
「高齢者だからTRTは危険」
という単純な結論を現在の医学的エビデンスから導くことはできません。
大切なのは「続けるか、やめるか」の二択ではありません
TRTを受けている方にとって重要なのは、
「テストステロンを入れること自体が危険か?」
という二択ではありません。
重要なのは、
① 本当にテストステロン補充が必要なのか
② 適切な血中濃度になっているか
③ 過剰投与になっていないか
④ 血圧・血糖・脂質・体重などの心血管リスクが管理されているか
⑤ ヘマトクリットなどの副作用が適切にモニタリングされているか
⑥ 胸痛や息切れ、不整脈などの症状がないか
を定期的に確認することです。
今回の研究は「TRTをやめる理由」ではなく、「TRTをより丁寧に管理する理由」
今回の琉球大学の研究は、テストステロンとNOの関係について新しい重要な仮説を示しました。
一方で、研究対象は人間ではなく、NO合成酵素をほぼ完全に欠損させた特殊なマウスです。
そのため、
「NOが低い高齢者ではTRTが心筋梗塞を起こす」
という臨床的な結論は、まだ出ていません。
これまでの臨床研究には心血管リスクを懸念させる報告もありました。
しかし、その後の大規模なTRAVERSE試験や複数のランダム化比較試験のメタ解析では、適切な対象者に対するTRTが主要な心血管イベントを明確に増加させるという結果は得られていません。
したがって、現在の段階で最も重要なのは、
「テストステロンを恐れて一律に中止すること」ではなく、「必要な人に適切な量を使用し、心血管リスクを含めて定期的に管理すること」
です。
今回の研究は、TRTをより安全に行うために、
「患者さんの血管・代謝状態によって、テストステロンの作用が変わる可能性があるのではないか」
という、次の研究につながる重要な問いを提示したものと考えるのが適切でしょう。
男性更年期障害の症状や保険診療については、男性更年期障害の総合ページをご覧ください。
参考文献
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